『くらべて、けみして』は、新潮社で日々行われている書籍校閲業務の一端を、あたかも校閲部の新入社員になったかのように垣間見ることができる漫画作品だ。漫画と言っても、新潮社の校閲部の協力を得て描かれているため、その内容には事実に基づいた確かな厚みが感じられる。こうした貴重な追体験は他ではなかなかできない。

校閲部の九重さん
本書の内容は、実務翻訳の校閲に重なるところもあるがそれよりも差異が際立って見える。ストーリーを読み進めていくうちに校閲者としての視野が次第に開けていくような感覚を覚えた。本記事では、実務翻訳の校閲者の私が本書から得た気づきを一つ紹介したい。
実務翻訳の校閲にも関係者との対話は必要か
もちろん、同じ「校閲」という名をもつ仕事でも「書籍の校閲」と「ビジネス文書の翻訳校閲」では、仕事の進め方や目的が異なる。大きな違いに原著者との距離がある。書籍校閲では、原著者とゲラを通じて対話を重ね、日本語をより良いものへと整えていく。一方、実務翻訳の校閲では、原著者に直接連絡を取ることはめったにない。端から原文を正として扱っている節がある。そのかわり翻訳者とは密に連絡を取ることが多い。
とはいえ「日本語という言葉を一つひとつ確認し、正したり疑問を投げかけたりする」という点において、両者には深いつながりがある。翻訳校閲者が書籍校閲者から学べることは多い。うんうんと、うなずきながら読み進めていると次のような言葉に出会った。
「文は人そのものだからだよ。著者の気持ち、編集者の気持ち、読者の気持ちをわかるには辞書を引くことじゃない。他人の気持ちをわかるために校閲者こそ会話が必要なんだ。」
同書 p. 71 (便宜上、句読点を挿入。本書には句読点は打たれていない。)
書籍校閲の現場には、「作品にのめり込んで校閲する方法」と「作品に入りこまずに校閲する方法」という二つの姿勢があるという。この引用は、新潮社校閲部元部長・矢彦氏の言葉であり、前者を支持する立場から述べられたものだ。
「作品にのめり込む」と聞くと、現実を忘れて作品世界に身を委ねるような読み方を思い浮かべがちだが、矢彦氏の言葉が指しているのは、どうやらそれとは別の次元にある。
当たり前のことではあるが、人が本をつくる。著者がいて、編集者がいて、読者もまた受け取り方や評価を通じて、ある意味では本づくりに関わっている。だからこそ、自分の世界に閉じこもって本と向き合うのではなく、外の世界に出て、本づくりに関わる人と対話することで、本のことを真に知ることができる。それが、矢彦氏が述べているもう一つの「作品へののめり込み方」なのだと思われる。
実務翻訳の校閲では、これまでこのような意味での「のめり込み」は必要ないと思っていた。ただ、どうだろうか。あらためて実務翻訳の工程を俯瞰してみると、そこには多くの関係者が存在する。翻訳を発注する企業や個人にはじまり、それを受注する営業部、進行を管理するプロジェクトマネージャー(PM)がいる。さらに、翻訳物に直接たずさわる原著者、翻訳者、校閲者、そして受け取り手としての読者が関与し、ようやく一つの翻訳文が完成する。
こうした人々がそれぞれの思いをもって翻訳に関わる以上、まったく同じ形の校閲が存在しないのも当然だろう。プロジェクトごとに、校閲という工程に求められるアウトプットが微妙に異なるからだ。
翻訳工程のなかにある校閲者として、毎回、ただ眼前の翻訳文に集中していればよいのだろうか。成果物のあるべき姿や、校閲作業の真のあり方を知るには、翻訳に関わる人々と対話すべきではないのか。重要なことは作業指示書に記載されているとしても、本音のところまではわからない。彼らの意見が、校閲のあり方に何かしら意義ある気づきや変化をもたらす可能性はある。今はそう思える。
では、私はどうするのか。まずは小さなところから、というわけで、PMに「正直なところ、どんな校閲をしてほしいですか」と尋ねてみることにする。
おわりに
なお、本書タイトルの「くらべて、けみして」は「校閲」の言葉の意味に由来しています。「校」は「くらべる」、「閲」は「けみする」と読むことができるようです。「くらべる」と「けみする」の意味が、作品で描かれている書籍校閲の仕事内容とよく一致していて、このタイトルはたいへん納得のいくものでした。
新潮社の書籍校閲に興味のある人や、異なる視点から自分の仕事を見つめ直してみたい実務翻訳の校閲者には、ぜひご一読をおすすめします。
参考書籍
1. 『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』こいしゆうか 著/新潮社/2023年12月出版

校閲部の九重さん

